2014年02月26日

音楽エッセイ6:トロンボーン吹きのグチ









トロンボーン吹きのグチ


私は20年来、オーボエというダブルリード楽器を練習している。前任地および現在の藤田保健衛生大学で学生オーケストラに加えてもらっている。「ブラ1」(ブラームス交響曲第一番の略)は2回ほど演奏させてもらった曲だ。オーボエソロが多いので、オーボエ吹きにとっては「おいしい」曲である。この名曲にまつわる“裏話”を披露しよう。


 まず、オーケストレーションの話。オーボエに限らず、他の木管楽器でも、ソロの直前は一小節程度の休みをくれていることがうれしい。作曲者ヨハネス・ブラームス氏の何というやさしい気遣い!きっと、しっかりやれよという叱咤激励なのだろう。一方、同時に演奏したジャン・シベリウス作曲の組曲「カレリア」では、休符がなく最低音を吹きっぱなしの長いパッセージのあと、いきなりのソロがオーボエに課されている。プロのオーボイストに聞くと、「まともにやっちゃダメ」というごもっともなアドバイスだった。


 つぎは、トロンボーン吹きのグチ。ブラームスの生きた百年以上前のトロンボーンは性能が悪かったのだろう。とにかく、この曲でトロンボーンが登場するのは第四楽章の後半である。しかもいきなりのソロだ。三本のトロンボーンのアンサンブルはとても美しく、聴かせどころなのだが、木管楽器奏者からすると、何ともかわいそうに思える。たとえば、第一楽章のでだし(序奏)のフォルテではホルンが大きく響くが、トロンボーンがあった方がもっと厚みがでる気がするのは私だけだろうか。トロンボーンは、ベートーベンの第五交響曲「運命」の第四楽章で始めて交響曲に使われるようになったそうだ。ベートーベンを師(目標)とするブラームス(バッハ、ベートーベン、ブラームスはドイツの3Bと称される)だけあって、トロンボーンの使い方も見習ったのだろう。プロのトロンボーン吹きにとっては、ちょっと出演しただけで、バイオリンやオーボエと同じだけの金を稼げる「おいしい」曲ともいえそうだ。


 もう一つ、アントニン・ドボルザーク作曲の交響曲第9番「新世界より」の裏話から。聴く人にとってとても聴き心地がよいこの曲は、楽器演奏の立場からは割と悩みが多い。第一楽章でフルートが2回吹くソロのメロディーが1回目と2回目で調が半音違うこと。第二楽章の最後でコントラバスだけで和音を弾くこと。第三楽章の最後でビオラの刻む音符が1小節に6つ、5つ、4つ、3つと減ってゆくこと。極めつけは、チューバの出番が静かな第二楽章に二度でてくるだけで、他楽章のフォルテシモの盛り上がりでもただ指をくわえて(?)聴いているだけなこと。シンバルも第四楽章の前半で一発だけ登場し、しかも拍子はずれの部分で「弱く」と指定されていること。ドボルザーク氏がチューバとシンバルに「いじわるな」こんな譜面をどうして書いたのかは謎のままである。


(堤 寛)


 


 


 

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音楽エッセイ5:管楽器の名手の性格









管楽器の名手の性格


 芥川龍太郎の三男である作曲家、芥川也寸志氏(19251989)いわく、管楽器の性格と吹き手(名手に限る)の性格には相関関係がある。


 フルートの名手は物事を常識的に判断する。突拍子もないことを言い出す人はフルートがうまくならない。そしてフルートの名手はみな白髪だそうな。


 デリケートな楽器であるオーボエの奏者はみな神経質、チンドン屋の吹くクラリネットはユーモリストが多い。すっとぼけた音の出るファゴットはすっとぼけた人がうまい。ホルンは理屈っぽい。ホルンという楽器がF管で、いつも移調して吹いているせいらしい。トランペット吹きは長命だそうだ。


(堤 寛)


 

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音楽エッセイ4:日本人の聴く耳









日本人の聴く耳


昭和57116日に開かれた日本医家芸術クラブ主催の座談会における芥川也寸志氏の発言内容を少し紹介させていただこう。


ピアノと尺八を比較してみよう。ピアノの構造はものすごく複雑だが、弾けばだれでも同じような音が出る。一方、尺八は竹を切って穴を5つあけただけの単純な構造なのに、吹くと首振り3年といわれるように非常に複雑な音が出る。ヨーロッパ合理主義は複雑な条件の中から単純な結論をひきだすのに喜びを感じるのに対して、日本人は単純さの中に複雑な味わいを見つけ出そうとする。ヨーロッパの鐘はガランゴロンと鳴るだけだが、日本人の耳は除夜の鐘のボーンという音が消えてなくなるまでの“余韻”をずうっと追いかけてゆく。虫の音を音楽的に受け入れるのが日本人の耳といえそうだ。これは、英語のように子音の発音の多い言語で育った人間と母音の多い日本語で育った人間の頭脳構造の違いを反映しているのかもしれない。日本人はピアノやバイオリンは右脳で聴くのに対して、笙や篳篥などの和楽器は左脳で聴くらしい。芥川氏はこれを「ロゴスとパトスが入り乱れているような脳の構造」と称している。パトス+ロゴス=病理学なので、日本人の脳みそは病理学に向いているだろうか。


(堤 寛)


 

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音楽エッセイ3:ベートーヴェンの耳









ベートーヴェンの耳


聴覚障害には伝音性難聴と感音性難聴がある。内耳の三半規管まで音を伝達する外耳・中耳に障害がある場合が伝音性難聴、三半規管から先に障害がある場合が感音性難聴である。耳小骨の動きが悪くなる耳硬化症は伝導性難聴を呈する。伝音性難聴の特徴は、近くの会話は聞こえ、電話がかけられる。補聴器が有効である。ところが、ちょっと離れた場所からの音は全く聞こえない。ヴァイオリンの弦の調律はできるが、屋根を叩く雨の音は、たとえそれが嵐であっても全く聞こえない。


最近、江時久(エトキヒサシ)氏が「本当は聞こえていたベートーヴェンの耳」(NTT出版)と題する本を執筆した。江時氏自身が耳硬化症なのだ。「合唱つき」交饗曲第9番など多数の名曲を作曲したベートーヴェン(Ludwig van
Beethoven
1770-1827)の耳は25歳ころから悪化し、その後全く聞こえなくなり、頭の中だけで作曲したというのが定説である。19874月、ウィーンの学者2人が、ベートーヴェンは耳硬化症だったと診断した。耳硬化症は“いつの間にか発生して緩やかに進行する両側性伝音性難聴”が特徴である。耳硬化症だったのなら、完全に聞こえなかったのではなく、本当は死ぬまで自分の弾くピアノの音は聞こえていた。だからこそ、あのような作品群を完成させられた!一方、不得手なのが人との会話で、人間嫌いになりやすい。彼の初恋の、そして生涯思い続けた貴族の娘ロールヘンにどうしても求愛できなかった理由は、その劣等感からだった可能性がある。


(堤 寛)


 

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音楽エッセイ2:騎馬のリズムと阿波踊り









騎馬のリズムと阿波踊り


日本語の文章表現の基本は「起承転結」の四拍子だが、英語の論理構成は三拍子である。英文論文は、Introduction(テーマの提示)、Body(具体的情報の記述)、Conclusion(著者の意見を表現)が求められる。各パラグラフも同様の三拍子よりなる。科学論文の考案で、日本人は知らず知らず、“ところで―”“ちなみに―”とテーマを展開して四拍子にする。これは欧米人に馴染めない。


へぼなオーボエをそれなりに演奏していると,日本人を実感させられることがある。どうもこれは,必ずしも自らの音感の悪さ故だけではないらしい。つまり,ベートーベンやブラームスなどの西欧の著名な作曲家の曲には,「付点四分音符+八分音符」というリズムが基本となる音形が頻繁に登場する。音の長さは31、つまり四拍子!単純至極に思われるかもしれないが,日本人のしろうとが演奏すると「三連音符の最初の二音+最後の一音」という形,つまり,21の音形(三拍子)に限りなく近づいてしまうのだ。前者が,4本足の馬に乗る騎馬民族固有のリズムであるのに対して,農耕民族である私たち日本人に染みついたリズムは,阿波踊りの「チャンチャチャンチャ,チャンチャチャンチャ」の形,つまり3連符の連続(8分の6拍子)なのだそうだ。ウーム,妙に感心していないで,練習してきちんと正しい演奏をしなければ……。


「おとうさん,ロドリーゴのアランフェス協奏曲知ってる? 第2楽章のイングリッシュ・ホルンがとてもすてきだよ」と当時公立中学校3年生の次女(現在,その出身校の英語の教師)から言われたがずいぶん前のこと。イングリッシュ・ホルンは,オーボエの兄貴分に相当するソロ楽器だ。当時小学生の三女(現大学生)からは,「学校でオーボエの曲を聴いたよ」と言われて,文部省検定教科書をみた。こちらは,グリーグ作のノルウェー舞曲。両方とも早速CDを買って聴いてみた。次女からは少し恨まれた。「今日,音楽の聴きとり試験があったのに」。


試験問題をみせてもらった。これがなかなかむずかしい。「ラスゲアドという奏法で演奏される第1楽章の出だし」,「第1楽章の第2主題」,「第2楽章で独奏楽器の和音にのせてイングリッシュ・ホルンが吹く哀愁を帯びた旋律」などの譜面を選ぶ。問題7は,「アランフェス協奏曲の第1楽章はソナタ形式ですが,その構成を答えなさい」。どうして,そこまでわかんなくちゃいけないの?


ついでに,中学校2年生のときの試験問題もみせてもらった。ベートーベン作曲,交響曲第5番「運命」,ハ短調,作品67 に関する問題がある。かの有名な第1楽章の出だし「ジャジャジャジャーン」の部分の音形に関する設問。ここは,4分の2拍子。八分休符のあと,八分音符が3つ並んだあとフェルマータ付きの二分音符がくるのが正解。決して,四分休符+三連音符ではない。東海大学医学部管弦楽団の演奏会で演奏するために楽譜をみるまで,小生,後者だと思い込んでいた。


娘いわく,「この出だしの部分を演奏する楽器は,”弦楽器+クラリネット”なんだよ。クラリネットが試験の山だよ。それから,第1楽章でソロのある管楽器ってオーボエでしょ。こっちもよく試験にでるみたい。」まあ,こちとら,よくぞ中学校を卒業できたこと!もっとも,翌日,オーケストラでオーボエの目の前に座ってビオラを弾いている医学生にこのクラリネットの質問をぶつけてみた。答えは「??」だった。


堤 寛(医学のあゆみ1771381996を改変)


 

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音楽エッセイ1:チャルメラとオーボエ

チャルメラとオーボエ



 いい加減なこと、筋道の通らない無責任な物言いを指す表現「ちゃらんぽらん」は、江戸時代にできた言葉だそうだ。その起こりは、屋台のラーメン屋の代名詞チャルメラだとする説がある。南蛮物として江戸初期に渡来したこの「唐人笛=スルナイ(哨吶)」は、吹き口にストロー状のワラをつけて発音部とし、先がラッパ状に広がる木製円錐管、表7孔・裏1孔の縦笛である。チャルメラは、当時、チャラメラ、チャンメル、チャルメロ、チャメロ、チャンメラなどとも呼ばれた。この楽器独特の音色は、おかしげなわけのわからない調子だというわけで、「ちゃらんぽらん」という新語が誕生したらしい。

チャルメラの名は、唐人笛を長崎でみたポルトガル人がチャラメラ charamela(ポルトガル語・スペイン語でリード笛の意=イタリア語の ciaramella=フランス語のシャリュモー chalumeau)
と呼んだことに由来する。ちなみに、江戸時代にチャルメラを吹いたのは、飴売りだった。「あんなんこんなん飴」を売る「異装の物売り」が、唐人姿で唐人笛を吹きながら江戸の町を巡ったとか。いっぽう、清朝のころの北京の街角で、「小銅角」(チャルメラ)を吹きながら商売をしたのは、鋏や庖丁を研ぐ「磨刀」たちだったそうな。中国北部の田舎町では、哨吶(ソオナー)が今でもお祭りのときに活躍している。歌舞伎囃子では、中国情緒や下町気分を表現するときにこの楽器が用いられる。

 乾燥した「アシ reed」を薄く削って作る笛の振動部(リード)が上下に二枚ある木管楽器は、ダブルリード(複簧)と総称される。チャルメラは、リードがワラ製の古典的なダブルリード楽器なのである。オーケストラに欠くことのできないダブルリード楽器に、オーボエ oboe があるが、実は、オーボエとチャルメラは親戚関係にある。古代
中近東文明に始まるとされる原始ダブルリード楽器は、ヨーロッパでショーム shawm
という中世の古楽器を経てオーボエへ進化し、いっぽう、中国ではチャルメラへと変身したのだ。

チャルメラやショームはリード全体を口に入れる形式なのだが、オーボエではリード先端を唇にくわえて吹く。この改良により、オーボエの音楽的表現力は著しく増大した。オーボエは、リードを除いて、3つの胴体部分(頭管部、足管部、ベル)に解体できる。中央の足管部を除いて無理に楽器を構築して吹いてみると、その音色がオーボエなのかチャルメラなのかわからなくなってしまう。このことが、両者が親戚関係にある何よりの証拠といえよう。ダブルリード楽器の仲間としては、オーケストラ用低音部楽器のファゴット(バスーン)のほか、スコットランドのバグパイプや雅楽用縦笛である篳篥(ひちりき)もあげられる。

こんなエピソードを聞いた。チャルメラをきちんと吹くことは相当に難しいらしい。ある屋台のラーメン屋が、チャルメラ自慢ついでに、「もしこの楽器がうまく吹けたらこの屋台ごとくれてやる」と息まいていた。そこに行きあったあるプロのオーボイストが、さらっとチャルメラを吹きこなしてしまった。屋台を譲るとごねた意地っぱりラーメン屋のおじさんに、この先生、結構往生したのだそうな。

 以前、タイへ出かける機会があった。タイの古典的民族音楽の楽器の中に、チャルメラそのものをみつけたときはうれしくて思わず近くに駆けよってしまった。大きな音がでるため、おもにファンファーレ風のトランペット的な役割を担っていた。タイ語名は「ピーチャナイ」。「ピー」はその音からつけられた名前だそうだ。「チャナイ」はきっと中国語の「スルナイ」と同一起源だろう。無理を言って譲ってもらった中古のピーチャナイはとてもとても演奏が難しかった。さすが、プロのオーボエ吹きはすごい!その後、沖縄の首里城で、琉球音楽にもチャルメラの仲間の楽器が使われていることを知った。

 オーボエとは、フランス語の hautbois(haut=高い、bois=木)、つまり、高音の木管楽器を意味する。しかし、「高い」のはピッチの高さではなく、むしろ、音の大きさを表わしたらしい。17世紀後半、パリのオットテール一族により改良されたバロックオーボエ(ツゲ製で、キーはわずか3つ)は、音色の表現力の広さに優れ、しかも、大音量での演奏が可能であるため、17世紀末までにはオーケストラの一員としての、また、ソロ楽器としての地位を確立した。複雑なキーシステムをもった現在のオーボエ(フランス型)ができあがったのは、ほんの100年ほど前のことだ。

 オーボエは、アフリカ産の黒檀(こくたん ebony=blackwood)という柿の木の仲間から得られる非常に硬い均質な木材を原料としている。ケニア滞在中、カンバ族の職人さんたちが巧みに製作する彫り物に思わず感心したが、考えてみると、あの黒くて硬い丸太の芯が、しろうとオーボイストである著者がそれなりに4年あまりの練習を重ね、わざわざケニアにまで持参したこのメロディー楽器の原料そのものだった!決して「ちゃらんぽらん」に練習しているわけではないのだけれど、本当に手強い楽器だ。オーケストラの音合わせに、合奏に先立って、ラ(A)の音を出すのが第一オーボエ奏者の役割だが、この単純な音の音程を正しく保つのさえ、初心者にはとても難しい。チャルメラにはたいへん申し訳ないが、チャルメラ風の「ちゃらんぽらん?」な雑音は出だせても、心にしみる音楽にはほど遠い。プロになるわけではないのだからといくらグチってみても、言い訳にはなりません。登るにはとても「高い木」なのですが、とにかく、練習あるのみ。

 堤 寛、「医学のあゆみ180 (2): 122, 1997」より
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